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古墳発見物語
     
   王塚古墳は、昭和9年(1934)9月30日に発見されました。その当時、筑豊地域一帯では石炭の採掘が盛んに行われていましたが、その石炭採掘による農地の復旧工事に使用するため、土砂を採っていた際の出来事でした。

 その頃の王塚古墳はちょっとした小山と言う感じで、二ヶ月ほど前より採土工事を行っていました。この日、一人の工夫が打ち下ろしたツルハシが石室内にポッカリと穴を開けました。

 
  昭和9年発見当時の王塚古墳   昭和10年福岡県社寺兵事課による調査  
  昭和9年(1934)発見当時の王塚古墳   昭和10年(1935)福岡県社寺兵事課による調査。  
 
 その後福岡県による調査が行われ、その石室の大きさと石室全面に描かれた美しい彩色壁画は、人々を驚かせ、 昭和12年(1937)国の史跡指定を受け、昭和27年(1952)3月29日には、国の特別史跡第1号に指定されました。

 しかし、当時の世情からして文化遺産に対する関心は薄く、充分な保存対策は講じられず、数年後には、カビや大雨による浸水のため壁画が傷み始めました。また、戦後の昭和23年(1948)には石室内に、数ヶ所の亀裂が発見され、調査の結果、周辺の石炭採掘によるものと判断されます。しかし、さらに王塚古墳周辺で石炭採掘の話が持ち上がるなど、その存続さえ危ぶまれる時期が続きました。

 そのような中で昭和41年(1966)、前室の天井石に亀裂が入っていることが発見されたことから、翌42年、石室の崩壊予防のため鉄柱工事が施され、これ以降は一般の見学を禁止し、密閉されることになります。

 
  昭和47年装飾古墳保存対策研究会の現地調査
昭和47年(1972)装飾古墳保存対策研究会の現地調査
   昭和44年(1969)には「装飾古墳保存対策研究会」が発足。考古学、建築学、土木工学、保存科学、気象学など16名の学術研究者により調査研究が行われました。

 この調査結果が昭和47年(1972)に発見された高松塚古墳の保存整備に役立てられたことは有名です。
 
 
 そして、昭和55年(1980)、地元の有志や考古学に関心の深い人たちが「王塚古墳保存会」を結成。その努力によって古墳の抜本的修理や環境整備を行うための予算を得ることができました。これを受けて昭和57年(1982)には、小林行雄京都大学名誉教授を委員長とする「王塚古墳保存調査委員会」が発足し、調査研究を始めました。

 この調査結果の成果をもとに昭和62年(1987)、保存整備工事に着手。まず、石室内保護と観察のための保存施設、その後、計測器を備えた付属施設の建設が行われ、墳丘復原が完成を見たのは平成2年11月のことです。

 実に23年ぶりとなった特別公開日には、7日間で全国から5000人を超える人が訪れ、ここに王塚古墳の新しい幕開けを迎えることになりました。
 
     
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